20年近くの間、月に1回はUとKを連れて遊びに行っていました。
かっこよくて、優しくて、どんなときも穏やかで、明るくて、前向きで、挑戦心にあふれた父でした。
こうやって書き並べるのは簡単ですが、実際にはなかなか出会えない人物でした。
一家の主たるにふさわしいすてきな父でした。
難病を抱えて13年、この2年は入退院を繰り返していました。どれほど不安だったことでしょう。でも、病院でも、いつも明るく前向きだったとききました。
亡くなる二日前には、息切れしながらも、輸血の際に、看護師さんに氏名と血液型をたずねられて、「オープラス」まではっきりと答え、点滴の袋が増えるたびに「これは何の薬?たくさんあって覚えられないなあ」と確認し、「今日の天気は?今は何時?もう昼?」「あのね、もうね、カラダはボロボロ、アタマもパー」と頭を指差してからパーッと手を開いて、こちらを見てしっかり話してくれました。
足の先が布団からはみ出していたので、靴下のうえからさすると、しっかりとあたたかかった。
亡くなる数時間前に、夫とUが会いに行ったときには、
「もうお別れだ。明日はもういない」「よろしくな」「よろしくな」と握手しながら、何度も繰り返したそうです。
そして、その夜、その言葉のとおりに旅立ってしまいました。
私がふざけたことを言っても、ほほう、ふふふと笑ってくれるので、いつも安心して話せました。
ソロモン諸島、カナダ、中国、世界の国々で仕事をした話を聴くのが好きでした。楽しかった。
世界で一番好きな街はどこですか?ときいたら、間髪を入れず、「バンクーバー」と答えてくれましたね。いつか家族で旅してみたいです。
「海の向こうを見てみたい」という願いが叶う仕事を選んだおとうさん、
あなたの孫のKも、「いつか必ず海外に住む」と、同じようなことを言っています。
Kの名前に「航」を使ったのは、ヨットが大好きなおとうさんの、外に向かう精神にあやかりたいと思ったからでもあります。
おとうさんのなにかが、孫たちにまで受け継がれていると感じます。
UやKの体の中にいつも流れていて、守ってくれているような気がします。
安心して見守っていてください。