SAILING POEMS

If you are good enough, someone will notice.

最後の引き揚げ船

1941年生まれの母が、「シリア難民のニュースを見ると、自分の引き揚げを思い出して胸が痛くなる」と話し出した。母は、戦時中、家族で北朝鮮にいた。祖父がダムをつくっていたのだ。終戦後に、家がロシア兵に奪われて、空家に何家族も同居していたが、準備を整えたあと、祖父は3,600人の日本人を引率して、引き揚げ船を目指し長い道のりを歩いた。「途中、月がいつもよりぐっと近く見えたことがあったけど、あれはお父さんが肩車してくれたんだったわ」。小さな母は、先頭の祖父から遅れがちになるので肩車されたのだ。

1980年に亡くなった祖父は、ハンサムで声が低くて静かで優しかった。遊びに行くとまず、手を洗うぞ、と洗面所に連れていかれ、大きな両手で私の手を包みこんで、セッケンでブクブクにして洗ってくれた。動物園に行くと、良く見えるようにと、ずーっと抱っこや肩車をしてくれた。引き揚げの話は、小学生の頃、直接聴いた覚えがあるが、目の前の温和でダンディーな祖父が、3,600人を引率している姿をどうしても思い浮かべることができなかった。とても静かに語るので、緊迫感もなかった。

ダムの仕事でいっしょだった北朝鮮の人たちに助けられ、途中襲ってきたロシア兵に腕時計や金銭を渡してしのぎながら、全員で日本に帰ってきた。福岡への引き揚げ船の最終便に乗ったそうだ。福岡に着くとすぐに、母だけ家族から引き離され、事務所で牛乳を飲まされた。栄養失調だった。初めての牛乳の味を今でも覚えているそうだ。

祖父も祖母も母も、よくぞ戦争を生き延びてくれた。最後の引き揚げ船に乗ってくれなかったら、わたしは生まれてこれなかった。UにもKにも、あ、その前に夫にも会えなかった。考えただけでもぞっとする。わたしはたまたまここにいるんじゃない。命をつないでくれた人たちがいるからここにいる。感謝するだけじゃ足りないね。